20年間の現役生活に別れを告げたシントトロイデンの元日本代表FW岡崎慎司(38)が17日、都内で引退会見を開き「本日は皆さん、よろしくお願いします」とあいさつした。冒頭はこの一言だけで終わり、いきなり大爆笑を誘う開始となった。

まず、シントトロイデンの親会社であるDMM.comの緒方悠執行役員が説明。7月1日からシントトロイデンと岡崎がアンバサダー契約を結び、クラブのアンバサダーに就任することが発表された。「クラブ経営にも関わってもらいたい。DMMグループとしても岡崎選手と戦っていく」とされた。

続けて、黒のスーツに青ネクタイ姿の岡崎が、まず引退決断の理由を明らかにした。

「膝のけがが一番の理由だった。去年のシーズンがスタートしてから膝の痛みを抱えてプレーしていた。プレーができなくなるまで、半年、痛みを抱えながらやっていた。監督から『オカザキは必要だけど、こういう場面では使えない』と。そうだよな、と納得しながら。そういう会話、状況が増えて。練習では若い選手がいて、会話して。彼らはリスペクトしてくれている。その中でプレーして、すごく悔しい思いで練習、試合をしていた。もっと自分が要求できるぐらい『あの頃だったら、もっとこういうプレーができた』と日々思いながら。試合で理想の動きができなくなって。その繰り返しを昨季から続けていて。最後に12月、最後にプレーできないぐらいのけがになって。その時に、サッカー人生で初めて『やめたい』と思った。その時に『引退なのかな』と燃え尽きてしまったというか。今まで諦めたことは1回もなかったけど、もちろん、引退する気持ちと『このまま終わりたくない』気持ちが芽生えていた。サッカー選手の続きを欧州でつくりたい、新しい挑戦をしたい、と芽生えた時に、サッカー選手ではないな、と決めてしまって。自分は決めると一直線になる人間だと、あらためて思いました。引退を奥さんに話した時に『みんなに早く言って』と。僕はシーズン最後までやって、やめようかなと思ったら、奥さんが『応援してくれた人に伝えるべき』と。だから2月に発表しました。僕は、みんなのために、より、自分はこうしたい、とわがままに選手をしていた。それを貫いて、やり切ろうと決めた。挑戦の続きは、自分でつくれると思ったからこそ、やめられた。自分にとってはポジティブな決断に至りました」

5月18日のベルギー1部ルーベン戦を最後に第一線から退く岡崎は、兵庫・滝川二高から05年に清水エスパルス入り。代名詞のダイビングヘッドや献身的なスタイル、何より明るい性格と「岡ちゃん」の愛称で親しまれた。

11年から欧州で活躍し、ブンデスリーガのシュツットガルト、マインツを経て15年に加入したイングランドのレスターで「奇跡」のプレミアリーグ優勝に貢献した。スペインでもプレーし、欧州5大リーグのうち3つでゴールを記録。22年にシントトロイデンへ入っていた。

今後は、自身が創設したドイツ6部バサラマインツの監督も務める。監督には「A」が必要なUEFAプロライセンスの「B」を現在、英国で取得中であることも明かした。

日本代表としては08年にデビューし、通算119試合出場50得点。75得点のFW釜本邦茂、55得点のFW三浦知良に次ぐ歴代3位のゴールを積み重ねた。FIFAワールドカップ(W杯)は10年南アフリカ、14年ブラジル、18年ロシアと3大会連続でピッチに立ち、出場試合数は史上5位だった。日の丸への思いも聞かれ「自分の目標はW杯優勝。もう選手では達成できないので、監督として目指すのはそこ。監督としては日本代表の監督でW杯優勝したいのがメインの目標」と語っていた。