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麻酔せず盲腸の手術 - 岩手日報

佐藤美和子さん(72) (一関市関が丘)

 ▽母の体験談

 前沢女学校時代、戦争が始まり、お国のためと勉強もせず、旧衣川村にあった松の木から油を取る事業所から平泉駅まで、往復3時間ぐらいかけて女学生が油を運んだ。誰も笑顔はなく、不安な日々だった。

 終戦後、これからは女も一生懸命勉強して活躍する新時代が来ると思ったが、親が決めた農家の嫁になり人生悔やまれたと話す。現在90歳。

 ▽近所の方の体験談

 一関女学校に通っていたが戦争が始まり、勉強は中止となった。皆でミシンを使って戦争で使う落下傘やテントを沢山作った。空はB29が低空飛行し恐ろしい日々。一関駅前はB29がバンバンと爆弾を落として火事となった。リヤカーに積んだ家財道具が暗くなった農道から田んぼのぬかるみに落ち、おひなさまも泥だらけ。二度と戦争はしてはならない、と強い口調で話す。現在88歳。

 ▽亡父の体験談

 フィリピンの戦場に行き、土地の人々と仲良くなって食料を頂き、時にはバナナの木に登ってなたでバナナを落として食べた。

 日増しに戦火は激しくなり、腹痛をこらえて行動していた。我慢も限界となり、病院で手術。盲腸だった。麻酔もせず看護師が手足を押さえての手術で、現在では考えられない。

 傷口が回復後、赤チン持参で戻った戦場は大変だった。カエル、ヘビ、人間の死体まで食べられる物はなんでも食べた。とにかく規律が厳しく、箸1本無くしても食事なしだった。

 フィリピンから復員し、間もなく太平洋戦争に行く時に敗戦し、結婚して私が生まれた。

 母の話では、夜中にうなされて大声を出し、同じ室に居るのが怖かったという。戦場の思い出の夢を見ていたんだろう。「戦争はやってはいけない」が父の口ぐせだった。

 86歳で亡くなった。入院先の病院のお医者さんに「元兵隊さんの最後は立派でした」と言われた。

 カラオケではいつも軍隊の歌でした。父の青春は戦争時代でした。

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August 10, 2020 at 12:57PM
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